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つれづれりすと

文化・芸術

2010年9月 5日 (日曜日)

博物館めぐり?

今日は、家内と娘が連れ立って大阪にお芝居を見に出かけてしまったため、息子と居残りということになってしまいました。

朝8:30から町内清掃と防災訓練で、11:30まで拘束されての後なので、汗だくのへとへと。
なんとか、静かで涼しいところはないか?

ありました!ご近所に!!

といっても、また博物館なんですね。

先週、写真の展覧会でいやというほど博物館の中を歩いたのに、何の酔狂か。
でも、博物館の中って、性にあっているんでしょうかねー、とても落ち着くんです。

息子も、そういうものが好きな性格を引き継いでいるのか、博物館に行っても、つまらなさそうにするでもなく、目を輝かせて展示を見ながらあっちえこっちえと手を引いて歩き回ってくれました。

今回訪問したのは、愛知県一宮市の一宮市博物館で、建物の雰囲気等とても評判のいい博物館で、古代からの生活や古墳などの展示、明治~昭和初期にかけての織物関係の展示や実演、そして美術品等、点数は名古屋市などに比べればこじんまりしてますが、とても楽しめました。

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ちなみに、デートコースとしても講評とか。

2007年10月21日 (日曜日)

今日は堅塁総会でした

今日は毎年恒例の「堅塁総会」でした。

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といっても、なじみの無い方には「なんのことか?」ということでしょう。
これは、私の所属する創価学会の地区組織と地域の一般の方々もお招きしてのイベントでして、今年のテーマは「世界平和」でした。「世界平和」といっても、大きなテーマ過ぎて、これもまた「またまた大げさな・・・」なんて思われるかもしれません。でも、「世界平和」は大切なテーマですし、人間同士の付き合いが希薄になって、大きな社会問題が取りざたされる今日この頃、家族同士や近隣に生活する一般庶民同士の理解と交流・地域貢献が世界平和の第一歩だと思います。今年は、創価学会の戸田第二代会長が「原水爆禁止宣言」を行って50年の佳節にあたり、このテーマとなった次第です。

原水爆禁止宣言についてご紹介するために、以下にその要旨を引用しておきます。(創価学会ホームページより引用)

逝去される半年前、1957(昭和32)年9月8日に、戸田第二代会長は、以下の内容の宣言を青年に対して行いました。

「諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したい。私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい。核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、いま世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。(この)思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります。」

これら一連の宣言の中で、戸田会長は、誰人であっても、核兵器を使用したものは「死刑にされるべき」とまで言われています。仏教を広めるものが「死刑」を容認するのかなどと思われるかも知れませんが、この真意は、仏法の理念に照らして、他の生命を損なう心・思想そのものを殺すべきとの意味であると教えられています。
核兵器を初めとする兵器を生み出してきたのも人間である以上、それを破棄することも不可能ではありません。
何を持ってそれを成し遂げるか。多くの人間同士のいさかいは、互いの無理解から生じるものです。池田名誉会長を先頭に、私たちは「対話」を武器にして互いの理解を深め、乗り越えて行こうという運動を続けています。
イランや北朝鮮で核問題が世界問題になっている昨今、世界の潮流としてこの思想を広める必要があると考えています。まずは地域のよき市民となることから始めたいですね。

さて、話が堅くなったので、今日の模様をスナップで撮ってきましたので掲載しますね。

肖像権の問題があるので加工してますが、下はわが地区の女子部の皆さんです。今日は受付でがんばっていただきました。(後で目隠しなしの写真を渡しますね。ありがとう!ご苦労様でした。)

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内容は「世界平和」への取り組みを紹介したビデオ「平和への王道」、紙芝居、いままでの生活での個人の体験談、壮年・婦人でのコーラス等でした。参加者の方々には皆最後まで真剣に聞いて頂いてありがたく思ってます。

私はコーラスに参加したのですが、演目は「里の秋」という歌でした。この歌ですが、若い方はご存じない方も多いようです。歌詞をご紹介しますと、

1.静かな静かな 里の秋
  お背戸に 木の実の 落ちる夜は
  ああ 母さんと ただ二人
  栗の実 煮てます 囲炉裏ばた
 ※「背戸」とは「裏口」のことだそうです。

2.明るい明るい 星の空
  鳴き鳴き 夜鴨(よがも)の 渡る夜は
  ああ 父さんの あの笑顔
  栗の実 食べては 思い出す

3.さよならさよなら 椰子の島
  お舟に揺られて 帰られる
  ああ 父さんよ ご無事でと
  今夜も 母さんと 祈ります

これは、第二次大戦中に戦地に赴いた父親を待つ母子の心情をうたったものだとのことです。戦争は攻めるほうも攻められるほうも地獄です。こんなことのない世の中にして行かなくてはいけませんね。その意味で選曲したわけではありませんが、歌の背景を創価学会幹部の方から聞かされて、今回の会の趣旨を考えたとき、これも意味があったんだなと感じました。

 追記:この歌は、1945(S.20)年12月、NHK「外地引揚同胞激励の午後」という番組で発表された曲とのことです。現在は、3番はあまりうたわれないようですが、この3番に作詞者の想いがこもっているように思えてなりません。

さて、無事イベントも終了し、後片付けをして帰り道、新しくできた小児科医院の駐車場のランプがとても風情があってよかったので撮影してみました。次の写真は公園の時計です。これもちょっといじってやったらなにかおもしろい具合になりました。

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2007年6月 4日 (月曜日)

今年の西枇杷島祭り(その弐)

昨日の続きです。
Nikon FとF3でのプリントがあがってきました。

やはり、銀塩写真は一発ものですね。長年のブランクがモロに出た感がありますが、その半面、Nikonのレンズの優秀さを見たような気がします。

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フィルムリーダーがないので残念ですが、非常にイメージはシャープです。
F3と同時にFも持参したが、私と同い年程度の機械にもかかわらず、いい仕事をしてくれました。

今日は祭最終日。天気もいいこともあって、昨日同様、非常ににぎわっており、夜間に、山車に提灯が点灯して披露するとのことでしたので、娘と繰り出して見てきました。
ちょうど、西六軒町の紅塵車(こうじんしゃ)が山車の向きを変えるところに出くわし、運良くというか、なりゆきというか、通行人を抑えるためのロープで、山車のすぐ横の家のガラス戸に貼り付けになってしまいました。これ幸いと、山車の転回の様子をカメラに収めてきました。

使用したのがNikonのCOOLPIX775というコンパクトデジカメで、提灯の色を出したいがために、ストロボOFFで撮影しましたので、殆どのカットはかなりブレていますし、ノイズが目立ちますが、いい雰囲気のカットが撮れました。
しかし、照明がありませんので、Quickタイムムービー機能は✕ですね。

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今年は例年にも増してカメラ三昧の2日間でした。

2007年6月 3日 (日曜日)

今年の西枇杷島祭り

今年も例年通り、6月第1週の土日にかけて、西枇杷島祭りが開催されています。今日は、カミさんの実家に毎年のようにおじゃまして、祭り見学と一族集合の会とあいなりました。
西枇杷島祭りは、飛騨高山の高山祭りと同じく、山車が繰り出して、夜は夏一番乗りでの花火大会が催されます。
山車は町内で管理されており、王義之車(おうぎししゃ):橋詰町、頼朝車(よりともしゃ):問屋町、泰亨車(たいこうしゃ):東六軒町、紅塵車(こうじんしゃ):西六軒町、頼光車(らいこうしゃ):杁西町の5台が登場し、それぞれに贅を凝らした飾りつけとからくりが仕込まれています。

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写真の山車は、かかっているのぼりの通り、東六軒町の「泰亨車」です。
からくりの舞っている姿も撮ってみました。

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夜は花火です。Nikon F3にEタイプニッコールの36mm~72mmをつけて撮影してみましたが、結果はどうでしょう?あがってくるのが楽しみです。以下の写真はNikon D50にAFSニッコール18mm~55mmで撮影しましたが、花火はどこでひらくかわかりません。うまくトリミングしていました。


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喜んで撮りまくっていたら、あっというまに100枚!デジタルって恐ろしいですね。F3のフィルムは途中で品切れになりました。

→ 結果は後ほど。ご期待を!